1950-03-16 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第15号
それから七万八百八十人は現地解放をした。残りの十万四千九百五十四名は残つておる。このうち九万五千を六月から十一月までの間に帰したということですが、残りの九千九百五十四名、このうち一月の二十二日に二千五百名帰つて来た、更に二月の八日に二千二百三十名帰さて来た。後残つている五千百何名、ところがこの五千百何名は戰犯であり抑留されている。
それから七万八百八十人は現地解放をした。残りの十万四千九百五十四名は残つておる。このうち九万五千を六月から十一月までの間に帰したということですが、残りの九千九百五十四名、このうち一月の二十二日に二千五百名帰つて来た、更に二月の八日に二千二百三十名帰さて来た。後残つている五千百何名、ところがこの五千百何名は戰犯であり抑留されている。
○淺岡信夫君 全部の発表は五十九万四千人だというが、そのうち現地解放は七万八百八十人だ、日本に今まで送還したのが四十一万八千百六十六名だ、残つているのは十万四千九百五十四名だ、そのうち九万五千返した、現在残つているのは九千九百五十四名だというような発表になつているのですが、今までそうした発表は間違いないのだと、あなたはそういうように御証言になつたのですが、そうなつて来るとソ連地区においては一人も死んでおらんということになりますが
今年の五月の二十日にタス通信で発表された数字は五十九万四千人で、先程証人も言われましたが、そうして現地解放が七万ということを言われましたが、私共が聞いておりますのは七万八百八十人を現地解放した。それから四十一万八千百六十六名を日本に帰した。
○淺岡信夫君 一ノ關証人に伺いますが、実は昨年の二月頃、日本の内地ではシベリア、或いはソ連に抑留されている日本人が現地解放をされるであろうという新聞の記事が出た。そうしたことから非常に内地の留守家族の人或いは一般の人が非常に心配をした。でそうしたものが段々集まつて来まして、声となつたものでありますから、この参議院の特別委員会におきましても、一応心配した。
がソ連大使館に参りましてチェトロフさんに御面會をして、その實情を縷々訴えたのでありますが、チエトロフさんは昨年十二月十九日に共産黨の徳田書記長その他の方々が見えたときの、ソ連のキスレンコ少将との會談の模様を申しまして、とにかくこれに對しては四月から再開するものと了承して貰いたい、それから人員の點については、これは一昨年の米ソ協定に基きその協定の範囲を超えないものと了承して頂きたい、それから六月に現地解放